本日は良いお日和で・中

 はぁ、それにしても良いお日和ですねぇ。少し雲が出てきたけれども、青い空にたなびいて、なんとも綺麗だ。
 こんな青を見ていると、不思議と真琴を思い出します。いつもね、こんな形の、青い石をペンダントとしてつけてたんです。
 あの日もこんな青空だった。敬介に婚約者が出来た日のことです。
 つまり、二人の決別ですよ。

 恋とは儚いものですね。人一倍真琴に執着していた敬介は、ある少女に恋をしてしまった。
 ちょうど大学受験の頃でした。敬介は国立上位校を志望校に掲げ、真琴は家業の道場を継ぐつもりで、稽古に明け暮れていました。
 思えば、二人の道は分かれていたんですね。
 そんなとき、敬介は燃え上がるような恋をして、同い年の少女と結婚の約束をしました。あの子の妻となる人です。
 神木のお嬢様がなんだって敬介と恋をしたのか、恋愛にはまこと、不思議が多いことですね。
 敬介は三千いくらのちゃちな規格品を彼女の薬指に捧げて、大財閥の娘婿になってしまったんですよ。
 しかし、そんなこと、おいそれと真琴には言い出せない。それで私に相談してきたんです。
 真琴のことはどうしよう、ってね。
 どうしようだなんて、そんな馬鹿なことがあるかと叱りつけました。
 だって敬介と真琴は恋人だったんです。その真琴を放り出して、女性と浮気して、婚約して、それで真琴はどうしよう、だって?
 なんという不義理でしょう。情けなくて堪らなかった。自分の弟でなくば殴っていたかもしれません。
 真琴の気持ちなんて、これっぽっちも考えなかったのかと、怒鳴りつけましたよ。
 寂しげに空を仰ぐ幼いあの子を思い出しました。
 どんなに忙しくたってね、毎日学校で顔を合わせる二人です。敬介の心が離れたことに、真琴が気づかない筈がない。
 彼は待っていたんじゃないかと思った。
 あの日両親を待ち続けたように、敬介の心が帰ってくるのを、じっと待っていたんじゃないのかと。
 そう思ったら、胸が潰れる思いがしましたですよ。でも、私は敬介を殴りませんでした。いいや、殴れなかった。
 泣きそうな顔をして、それでも彼女と結ばれたい、と、そう声を詰まらせながら言う弟を殴れるものですか。

 そう、ちょうどこんな青空の春でした。
 進路の決まって落ち着いた頃、敬介は真琴を呼び出した。まさか彼女を連れて行くわけにも行かないから、私が同伴しました。
 いざとなったら二人掛かりで言いくるめるつもりだった……卑怯者です、私たちは。
 梅の薫りが立ち込める緑道で真琴はいつも通り、定刻より少し早くから私たちを待っていました。そうして、思いつめたような顔をした敬介と、それに寄り添う私を見て、全てを悟ったようでした。
 敬介と真琴、二人が向き合っているのを、私は少し離れたところから見守りました。それはさながら、あの桜の木の下を思わせる風景でしたね。

 最初に口を開いたのは、当然、敬介でした。

「俺、大学を出たら、結婚する」

 全く、思い返すに口下手な愚弟だ。時系列も過程も結論もしっちゃかめっちゃか。しかも内容が内容だ、真琴でなかったら、エイプリルフールの冗談だと取ったでしょう。
 でも、彼は違った。真琴は敬介を心から理解していたからこそ、それが精一杯の言葉だとわかったんです。
 それから敬介は経緯や理由をぽつぽつと話始めました。
 一応、初めから終わりまで、一言と漏らすまいと聞いていましたが、あなたまさか、そんなことまで知りたいとは言わないでしょうね。
 一つ言えることは、下手な言い訳や誤魔化しをしなかったところが、敬介の美点だったということでしょうか。

 そうして、顔も知らない女に十年来の親友と恋人を奪われたのだと、最愛の人から聞かされても、真琴は微笑んだままでした。
 敬介の言葉一つ一つに丁寧に頷いて、そして最後に、底抜けの笑顔でお祝いを言ったんです。

「おめでとう」

 もう、傍にいる私の方が泣きそうだった。だってそんな笑顔、心の中に一つでも暗い感情があったら出来ないんです。
 一点の曇りもない笑顔を見て、真琴が本当に敬介を愛していたことを知ってしまった私は、真琴を直視することが出来なくなっちまったんです。
 憐れんだんじゃありません、悲しかったんだ、私は。

 すみませんね、この頃じゃ涙腺も弱ってしまって……あぁ、歳は取りたくないもんだ。
 さて、続きをお話ししましょうか。

 真琴の引き際があんまり良いもんだから、敬介は居心地が悪くなったんでしょうかねぇ。突然、声を荒げて真琴に掴みかかりました。

「なんで怒んねぇんだよ、俺は、お前を捨ててくんだぞ。ずっとお前が好きだって言って、お前はずっと俺を好きでいてくれたのに、俺は、もう、お前が好きじゃないんだぞ!」

 耳が痛くなるほどの、わかりやすい嘘でした。
 濡れた瞳で酷い言葉を吐いたって、そんなの睦言と同じです。敬介は真琴のことが好きだったんですよ。別れのときだって、彼が好きだった。
 けれども、西洋の神様は、好きな人は一人でなくてはいけないと定めたから、敬介は彼女を取った。もしかしたら、子供ながらに将来のことを思い悩んだのかもしれません。
 きっと敬介は真琴に詰って欲しかったんですよ。
 私だって、彼が敬介を裏切り者だと罵ってくれていたら、こんなに泣くこともないでしょう。
 何のことはない、許されることが辛かったんです。

「ねぇ、敬介」

 その声に私が視線を戻しますと、襟を掴んでいる敬介の手を握り締めて、真琴はまた微笑みを浮かべたんです。
 もう笑わないでくれと、私は血を吐くような思いでその光景を見つめていました。

「僕は敬介を愛しているから、君が幸せなのが一番嬉しい」

 あんな真っ直ぐに、人を愛せる人間がいるものなんですね。
 それに引き換え、情けないのは敬介ですよ。真琴を捨てて幸せになるはずの敬介は、泣きじゃくりながら真琴に謝り続けていました。
 喉が嗄れるまで謝り倒すその一つ一つを、真琴はきちんと受け止めた。
 でも、いつもみたいに肩を抱いて、頭を撫でたりはしませんでした。それが真琴のけじめでした。

「真琴、真琴、俺はお前を捨てるけど、ずっと友達でいてくれないか。仲の良い友達でいてくれないか」

 都合のいい話です。自分は彼を捨てるけど、自分が捨てられるのはごめんだってね。
 そうは問屋が卸さなかった。勿論、意地悪なんかじゃありませんよ。

「僕は敬介の幸せについて行ってあげられないから、だから僕は君にはもう会わない。
 ごめんね、敬介。手紙は書かないけど、葉書を送るよ。電話はしないけど、忘れないよ。
 ごめんね、敬介、さようなら」

 きらり、と、光の加減で、真琴の青い石が煌めいた。
 その光が目にしみて、私はこらえきれずに泣きました。
 そうして顔を上げたとき、そこにはもう真琴は居なかった。言いたかったことがあったんですがね、言えませんでしたよ。
 まるで青い青い空がさらっていってしまったみたいに、真琴は私たちの前から姿を消しました。


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